住まい−家族や生活−を維持するにはそれなりの覚悟とプライドが必要と思う。家に人を招くことは、それなりに自分や家族の趣味はもちろん料理の腕やインテリアの知識の度合い、さらには、家族関係の親密さや教育観といった様々なものが知られてしまう。いや、さらけ出さなければならなくなる。当然ながら、そうしたことをさらけ出さなくてすむほうが人生、楽に決まっている。そのため、友人たちや地域の人々との関係を疎遠にして閉じてしまうと、家族の間にもそうした疎遠の溝ができたり、逆に、過剰に強い絆で結ばれてしまいお互い独立できなかったりする関係に至ってしまう危険性がある。
大阪市此花区の新築一戸建て
寝屋川市の新築一戸建て
和泉市の新築一戸建て
奈良市の新築一戸建て
名取市の新築一戸建て
そうした危険性を逃れるためには、やはり、自らの生活をさらけ出し、他の批判を受ける覚悟が必要なのだ。そのさらけ出す場が、接客の行為の場のように思う。接客といえば、硬く古めかしく思うが、少し緊張するのは、自らをさらけ出すための通過儀礼なのだ。自らの存在を、単なる個人の存在とするだけでなく、より客観的な存在とするためには、これまで捨て去ろうとしてきた接客という機能を、もう一度、住まいに取り戻すことが必要なのだ。それにより、ようやく、現在のわれわれの住まいは、単なるねぐらから、文化的な住まいに変わることができるように思える。