戦後、政府は住宅難の解消のため、日本住宅公団(現在の都市基盤整備公団)を設立し、鉄筋コンクリート造の団地を建設し、その時、公団は団地の住宅の間取りに新しい考え方を打ち出す。戦前の住宅では、食事と団集と就寝は同一の場で行われ、朝起きると布団をしまって、卓袱台を出し、ご飯を食べ、さらに団集の場にもなっていたが、これではイカン、せめて食事の場は独立させ、誰が寝ていても食事のできるようにしないと、と考えた。
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正確には建築学者の西山卯三、吉武泰水、鈴木成文の三人が考え、それを公団が採用した。マアたしかに、人間の住生活で一番基本的なのは食う、寝るの二つだから、このふたつの場を分離して確立するという考えは正しい。しかし、食う場を一室分とって食堂とするには全体面積があまりに足りないから、台所と合わせて一室とする。狭い日本の集合住宅をより有効に使うために苦肉の策として編み出されたこの台所のことを、ダイニング・キッチンと、公団は呼んだ。もちろん、和製英語で、こんな部屋も考えも欧米にはなかった。